gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

本日已生

中2ー13

ミス:0

8:54

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4月振り返り

今月、らくだプリントをやらない日はなかった。

4月のすべてのプリントが検算を行うものだった。

 

プリントをする前にお酒を飲んでしまったり、

人との待ち合わせ前にプリントをしていて途中で終わってしまったり、

検算をやらなかったりした。

しかし、プリントはやる。

 

そのすべてを記録用紙に書く。

 

とても集中できる日も、そうでない日もある。

しかしそれに一喜一憂していてもしょうがない。

まずはどんな時でも、今の自分をそのまま見てみること。

その日の自分はその日にしか立ち現れない。

そう考えると、

”毎日の中に今日がある”

というより、

”今日は今日でしかなく、その今日が結果として、毎日として続いている”

という感覚が鮮明になる。

この表現が正しいかどうかはさておいて、私はこっちの方が”ラク”だと感じる。

 

自分の努力ではどうしようもないことなんて山ほどあるから。

私の場合、気圧に変化があると花粉症の症状とともにだるくなる。

職業柄、嫌がっても4月の忙しさは毎年のようにやってくる。

忙しくなりがちな4月からは逃げれられないなら、

少なくとも、忙しそうな顔をしないようにはできる。

睡眠時間を確保することはできる。

そう考えるとやれることは限られている。

その限られている当たり前のことをコツコツとやることがとても重要だということがわかる。

しかし、これがなかなかできない。笑

 

らくだのプリントを毎日やるためには”努力”や”意思”ではなく、

”工夫”だと思う。

この工夫は一つの方法論ではない。

皆違うライフスタイルの中でらくだを毎日やっていくことに対する工夫は皆違う。

この工夫をしていくことが、

変えられること

変えられないこと

を見分けることにつながると思う。

 

(まだまだあるけど)

おわり

”一歩ずつ”は難しい

少しうまくいくと、一度うまくいくと、

もう大丈夫だ!

なんて、

俺はできるやつだ!

なんて思ってしまう。

1歩進んだのに、3歩進んだ気になってしまう。

表層的に結果が出てしまっても、

自分が進んでいる分はそんなに変わらない。

 

3歩進んで2歩下がるように認識してしまうと疲れてしまう。

そもそも一歩ずつだとすれば、

一歩進んで、

そのままのことだって、一歩下がることだってあっても、

一歩ずつならそんなに疲れない。

 

3歩進もうたって多分一気には無理だし、

2歩下がった気がして嫌になってやめてしまっては元も子もない。

 

焦らず今日で進める一歩を探しみよう。

 

おわり

苦手こそ

苦手なことはできるようになりたいことだ。

できるようになりたくないことは、そもそも意識に上がってこない。

 

苦手ご他者との比較から生まれている思い込みだとすれば、

その苦手の実態はぐらつくものだとわかる。

自分が作り出したものに他ならない。

 

苦手なら、今日できることをやってみればよい。

辛くない程度で、コツコツと今日やれることを続ければよい。

 

そしてその苦手の正体を突き止められれば、

その経験は他の誰かのチカラになる。

 

おわり

今日

今日の分は今日だけしか進めない。

というより、

今日の進み方は今日しか体感できない。

というのは、

今日の環境(世界)や体調(自分)は今日しか体験できない。

だから、

今日できなかったことはまとめて明日できるわけではないだろう。

 

「今日やることは今日やり、明日やることは明日やる。」

というのは、

今日でしか体験できないことは今日に、

明日でしか体験できないことは明日にやるということ。

 

おわり