gt-24o’s blog

わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

何もしない時間

先日、1人でゆっくり考える時間をとった。

(”ひとり哲学”という場があったので参加した。)

考える以外は歩いたり、朗読を聞いたりした。

 

意識上では考えるだけで、他は何もしないでいても必ず何かはしていた。

心臓は動くし、呼吸もする。

無意識に自分の手を見ていたり、

体を伸ばしたり、

足を組み替えたり、

首を回したり、

目を閉じたり、

目線を上げたり下げたり、

何かを見たり、見なかったり。

何もしないというのは簡単じゃない。

 

1人で立ち止まって何かを考えるといっても、

題材がないとなかなか考えられものではない。

誰かに問われたり、

何かを見て記憶が呼び起こされたりしないと思考は始まらないのだと感じた。

私のとって1人で考える時間は、思考が止まる(無目的的に自分と向き合う)時間になった。

贅沢な時間だった。

 

仕事では考えることはたくさんあるように思えるが、

1人で考える時間を自らとった時には、

仕事のことはでてこなかった。

家のことや、友人、自分が学び場のことなどがでてきた。

(仕事中はあんなに悩むのに・・・笑 おそらく考えても仕方のないことばかり考えているのだろう。)

 

3月24日にてつがく対話の場を名城大学ナゴヤドーム前キャンパスひらく。

この時にも、何もしない時間を取ろう思う。

ゆっくり、問い、語り、考え、聞く時間が取れると思う。

 

終わり

卒業生と遭遇

3/10(日)の出来事

引っ越したこともあり、移動に地下鉄を使う。

午前中の用事を終え、金山から電車を待っていると、

「もしかして、西尾さんですか??」

と横から。

(そんなに有名になったのか?!と思いながら、、いや思ってない。)

右を向くと、前に副担任だったクラスの卒業生が作業着で立っていた。

 

彼はとても真面目な性格だった。

数字も(成績)とれていた。

(当時、彼は成績は取れていたけど、成績をとることに価値をあまり置いている感じはなかった。淡々とやることをやっていた感じだった。そういう意味も込めて"数字"と表現。)

少し背が伸びていた。

 

第一志望の会社には入れなかった。

(お節介にも少し責任を感じていた。)

しかし、

顔色もよく、土日に出勤していることにも不満はないとのこと。

平気な顔で、改札と券売機を直してきたと話してくれた。

自分は当時なんの責任を感じてたんだろうと思った。(他人の人生の責任なんか絶対取れない。だから、取れない責任を感じること自体傲慢。)

 

4駅分くらいしか話していないけど、仕事が大変だとか愚痴が出てくることはなかった。

楽しく話せた。

 

どんな人生を歩もうと、自分しか自分の人生は歩めない。誰のせいにもできないんだよなと再確認にしました。

 

おわり

引っ越しとAmazon

先日、引っ越しが完了した。

gt-24o.hatenablog.jp

 

使用していなかった空気清浄機を稼働させるべく、新しいフィルターをAmazonで購入した。

しかし、届かない・・・。

注文履歴を見ると、前の住所に送ってしまっていた。

完全に私のミスなので、

戻ってこなくても、返金できなくても仕方がないだろうなと思っていた。

一応、Amazonに問い合わせをした結果、

自動で返金処理がされるので、現住所を設定もう一度購入を検討して欲しいとのことだった。

 

気になったのはここから。

なぜか、

「ご迷惑をおかけしたお詫びとしてささやかですが、300円のクーポンをお客様のアカウントに登録させていただきました。」

こちらのミスなのに、ご迷惑かけているのこちらなのに・・・。

うーん、

どんな現状がAmazonをここまでさせるのだろう・・・

 

終わり

 

今回言いたいことにつながりそうな記事。

gt-24o.hatenablog.jp

 

引っ越し完了

引っ越しをしました。

10年ぶりの共同生活です。

10年一人暮らしをすれば、

自分と向き合う時間がたくさんあります。

自分の苦手なところ・得意なところ。

1人で楽しむこと・誰かと楽しむことのバランス。

好きな味付け。(断然ケチャップ派)

自分である程度わかっているつもりになっている気がしています。

(多分わかってない。笑)

 

1人で暮らしていたがゆえに、

自分で何でも出来ると思い込んでいた部分も表面化してくるでしょう。

(もうすでにしている。笑)

 

自立することは、孤立することではないでしょうから、

自分にできないことはやってもらい、

自分にできることは惜しみなくやる。

 

 

でも1人になりたい時もあるだろうと思います。

共同生活を送る中で、自分の時間を作り出せるようになっていこうと思います。

 

終わり

2月課題本 「生きるとは生かされること」 part2

生きるとは、生かされること (平井雷太「教育エッセー集」)

 

 

gt-24o.hatenablog.jp

 

戦争とは?

 

「このグループで来ていても、毎日こぜりあいが起こっているんだから、戦争なんてなくならないよ」という高校生がいた。

「そうかなあ、僕はこぜりあいが怒っている限り、戦争に至らないと思うんだ。一対一の争いは決闘であって、戦争ではないからね。戦争は戦いたくない人まで巻き込む。一人ではかなわないからと徒党を組んで『自分たちの戦いは正義の戦いだ』とその正しさを主張しだす。これが戦争の構造であって、こぜりあいをしているから戦争になるわけではないと思うけどね」

と私。

私にとって戦争とは何かを考えさせられる。

 

この文章を読んで、いじめのことを想像した。

いじめは戦争で、ケンカは決闘なのではないかと。

A,B,C,D,EさんとXさんが相対している。

この時、

5人でXさんを同じ理由でやっつけようとしているなら戦争だし、いじめかもしれない。

5人のうちで1%でも、

「いやーバレたらまずいよな・・・」

なんてことを考えていたり、

Xさんに戦意がないのはもちろん、

AからEさんのうちに1人でも戦いたくない人がいれば、他の4人に戦いを強要されていることにもなるからいじめで戦争だと思う。(被害者は5人側の1人かもしれない。)

(現代においては、自分がなぜ誰かに攻撃しているのかが不明確なことが多いと思う。何となく周りに合わせていて、その何となくが物凄く恐ろしい。自分の中に物差しのない人間が集まり、小さな集団の中で価値が決定されていってしまう。何が良くて、何が悪いかわからない。自分のアタマで考えようとしない。そんな風に感じる。)

 

逆に、AとX、BとX・・・というようにAからEは全く面識がなく、

全く別の理由で、Xに戦いを挑んでいているならこれは決闘でケンカだと思う。

ビーバップハイスクールなんて見ているとちゃんと戦いの順番とか決めているし、タイマンなのか、団体戦なのかとか。相手がすでに瀕死状態だと「今のお前を倒しても意味ねーんだよ!」とか言って日を改めちゃったりする。笑 瀕死状態の敵を倒そうもんなら”シャバ僧”扱いされてしまう。笑)

 

人との間に摩擦はあっても、その理由や人間関係が明確であれば問題はない。

小競り合いと戦争の違いには敏感でいたい。

 

 

続く

これはペンです。

久しぶりに職場のことについて書いてみます。

今年は2年生の担任をしていまして、

すでに来年の就職のために動き出したり、

成績や授業時間数などの管理のため膨大なデータの処理に追われているところです。

(少しずつやっておけばいいものを・・・)

 

今年は、新たな授業スタイルに取り組みました。

良いところも課題も見えましたが、

生徒たちからの意見も聞きつつ、形を変えながら今日までやってこれました。

同じ教室で学んできた生徒(仲間)たちに感謝です。

 

しかしながら、社会に背を向けてしまう行動をとってしまう生徒もいたのも事実です。

多くの時間を取りました。

何事もない楽しい日々がどれだけありがたみを感じつつ、

同時にネガティブな印象の強い1年だったようにも感じていました

(過去形です。ペン一本で過去形になりました。笑)

しかし、私が言いたいのは誰が悪いとか、辛かったとか。

そんなことではないです。

 

このペンは、卒業式を明日に控えたある3年生から頂いたものです。

彼とは1年生の時に、3週に一度3コマ連続の実習の授業を担当していました。

月に1日その授業の日に、祝日があれば、月に一度しか授業では合わないことになります。

昨年、彼が2年生の時は、私は1年生の担任です。

昨年も今年も、授業は持っていません。

しかし、1年生の時に授業では、よく話しました。

そして、よく笑いました。

よく話し、よく笑う関係は今年まで続きました。

プロスピ(ゲームアプリ)一緒にやりましょうと言われ、

しぶしぶダウンロードすると意外に面白くてハマってしまったりしました。笑

 

そんな彼が、ペンをプレゼントしてくれました。

彼は、

「お世話になりました。」

と言いました。

 

僕は、戸惑ってしまったのが正直なところです。

言い方が悪いかもしれませんが、お世話をしたつもりは全くありませんでした。笑

 

それでも、彼はペンをくれました。

その彼の担任の先生から話を聞くと、

私は話題にしていることが時よりあったそうです。

 

自分が、頑張ってお世話をしている(してあげている)と思っていても、

それを相手がどう受け取るかはわかりません。

損得やギブアンドテイクの関係で終始することだってよくあることです。

 

今回の場合は自分が全く意図していなかったことが、

彼との関係の中で、何らかの反応が起きていたのでしょう。

 

話は変わり、自分の担当授業のことです。

1年間の授業の振り返りを担当2クラスの生徒たちに書いてもらっていたので、

それを眺めていると、嬉しいことがたくさん書いてありました。

私はその振り返りを書いてもらった授業は、自分だけで担当していたこともあり、

色々なアイディアを盛り込んだ授業でした。

なので、

半ば当然かな?

とも思っていました。(思い上がりです。涙)

生徒たちが書いてくれた嬉しい言葉の一つを噛み締めて、

素直に喜ぼうと思いました。

 

ペンと嬉しい言葉に

ありがとう!

f:id:gt_24_o223:20190228212430j:image

 

2月課題本 「生きるとは生かされること」

生きるとは、生かされること (平井雷太「教育エッセー集」)

2月はこちらの本を読んだ。

この本の著者は平井雷太さんだ。

開発者平井雷太について|どの子にも学力がつく らくだメソッド

私が取り組んでいる「らくだメソッド」の開発者で、東京の本部教室で「すくーるらくだ」を主宰している方です。

 

平井さんが塾を運営し、らくだメソッドを用いて教育と関わりながら書き続けた文章が教育エッセイという形でまとまっています。

らくだの第一歩・・・・・・・生きるとは、生かされること

らくだの第二歩・・・・・・・教えるとは、教えられること

らくだの第三歩・・・・・・・考えるとは、考えさせられること

らくだの第四歩・・・・・・・書くとは、書かされること

の4章で構成されています。

目次やタイトルを読んだときには、内容が想像できませんでしたが、

らくだメソッド(自分)と向き合い、ブログを書いていることもあってか、

読み進める中で、各章の言葉の意味がしみてくるような感覚がありました。

先ほどのも述べましたが、

らくだメソッドをやり(続け)、

誰かと関わり(続け)、

考え(続け)、

書いて(書き続けて)みることで、

自分では言葉にできなかったことが、

言葉になっているような印象を受けました。

 

らくだメソッドがどんなものかを書き現れているのではと感じる部分を引用してみます。

らくだの一歩

生きるとは、生かされること

愛するとは

中略

教育しようとすることで子どもも傷つき、私も傷つき、しかし、受験や補習塾で収入を得ることをせず、しかも教育と共存しながら生きる道を考えたとき、それがらくだになった。

太字の部分は、胸に突き刺さる一文でした。

大人と大人、大人の子どもの間に、対話なく、同意がない。

大人も子どもも自分と向き合うことなく(誰かがが鏡になることなく)、

大人が言ったことに対して子どもは思考しにくく、

(大人は思考せず、子どもに思考させず)時間が流れていく。

基準が大人にあり(あるように見え)、

子どもにない。(成長したい方向も度合いも子どもが決めない。)

・・・

挙げればキリなく続くこれらの痛みを一文から感じました。

ただ、平井さんは学校教育の否定はしていません。

学校がどんな場所かを正しく認識し、そこから何を抽出するのか。

何と向き合うのにも認識と事実を分ける。

学校も例外なく何かを抽出することはできるでしょう。

 

 

続く