gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

本当のことを、そのままの意味で

言葉には当然のごとく、意味が存在する。

しかし、意味とは別に

”良い言葉サイド”、”悪い言葉サイド”というような住み分けがあるようにも思う。

 

A:「君はナルシストだよね。」

と言われて、

B:「そうだね。私はナルシスト気質だと思う。」

とすんなり会話が終わる事は少ないように思う。

B:「え?!?!?私のどこがナルシスト!?」

とBが気になることが多いように思う。

「ナルシスト」という言葉に良いイメージがないのだ。

 

言葉をその意味どおりに伝えるには、

良い悪いとかではなくて・・・という前置きがいる。

でもその前置きさえも凌駕するほど、言葉にはべったりとイメージがくっついている。

 

距離感がある人ほど、また歳を取ればとるほど

直接的な表現を避けながら言葉をかわすことがあるように思う。

それは相手への思いやりだったり、気づいていくれることを待ったり。

”含みを持たせる”という表現でもいいかもしれない。

私はそういう言葉のチョイスが下手くそだ。

最短距離での、直接的表現をすることが多い。

それも、自分で考え抜いた意味を一般的な言葉にのせてしまうこともしばしば。

しかし、

こういう言葉のチョイスは、

真意であることが伝わりやすい。(気がしている。笑)

先ほど述べた言葉へこびりついたイメージを無視して、

その言葉の意味そのものを伝える効果がある(ような気がしている。)

こういった言葉を言ったら、こう辛くなるかも・・・と前置きというかフォローも直接的な表現で入れてしまう。苦笑(フォローになっていない・・・)

 

「こうやって言ったら、この人はこうなってくれるだろう。」

という計算のある言動も少ないように思う。

なぜなら言葉に対する嘘は、

わかる人にはわかるし、自分自身が打算的な発言に気持ち悪さ感じてしまうからだ。

ただ、その人の真意を聞けないというのは、

自分がその程度の人間であるということにもつながるから、

そこは相手の立場に立つことと、その人との関係性に敏感でいたいと思う。

 

おわり

unlearning

unlearnin 

既得の知識・習慣を捨てること。環境変化の激しい現代社会を生き抜くために、過去の経験にとらわれないよう、意識的に学習知識を捨て去ること。

unlearning(アンラーニング)の意味 - goo国語辞書 より

「学ぶことによって自らの特権を解体し、他者に対する偏見を解きほぐす」

本橋哲也

“unlearning”のすすめ | 成城大学 より

これは大切だ!と思った瞬間から時間のたった気づきを引きずることで、

現在の自分の盲点になるかもしれない。

純粋な足し算のようなイメージの学びで、

自分ががんじがらめになることもなるようなら、

丁寧に忘れ、手放すことで視界をクリアにしたい。

また、現在の盲点を知らせてくれるのはいつも他者。

 

「記録するかわりに記憶する。」

 「知的生産の技術」著:梅棹忠夫 より

今日では、ただ捨ててしまうのでなく、記録がしやすくなったこともあり、忘れやすくなっているように思う。

 

自分というものは、時間がたてば他人とおなじだ、ということをわすれてはいけない。

 「知的生産の技術」著:梅棹忠夫 より

何かを意識すれば、何かが見えなくなる。

見えなくなっていたことに目を向けると、意識していたことを忘れる。

過去と同じキーワードを思い出し意識するとしても、

その人が変化を続けていれば視点が変わっているから、

全く違った意味のキーワードになる。

 

 

知識や体験を新たに取り込むことと、

忘れる事は繰り返すが、

平面を行ったり来たりしているだけでは決してない。

 

おわり

限界を知れば

限界を知ること。

自分でできること・二人でできること・友人たちでできること・職場でできること。

立場や専門性を考えれば、できること・やっていいことの限界はどこかにある。

その限界を知った時がゴールではなくて、スタートなのだと思う。

万策尽きた時がゴールでなくスタート。

自分にはなにができて、すでに何をしていて、何が足りないのかを知ることが限界を知ること。

自分・自分たちの限界を知っているからこそ、助けや協力を求められる。

 

おわり

問うことは自分の中に

生きていれば、

「これはこのままでいいのだろうか。」

と問うことがあると思う。

問題提議といっても良いかもしれないが、

問題という言葉には、あってはならないというマイナスなイメージがついているような気もする。

だから、問題提議の問題は悪いものではなく、その問題を解決しようする姿勢や、

新たな問題を見つける視点に価値があるとすれば、

問題提議も、問い続けることも悪いことではないと思う。

 

しかしながら、

学校では自分の中に問題を見つける前に、

雪崩のごとく授業の中で(教科書に用意された)問題が押し寄せる。

それも教科書の問題が解けないとそれ自体が"問題視"される。

問題を他者が用意するものになっている。

 

だから、

自分で自分を見つめ、

何が問題なのかを自分の中に問うことをする姿勢や視点がイマイチ育たない。

当事者意識が育たない。

心の物差しが育たない。

http://gt-24o.hatenablog.jp/entry/2018/05/25/235729

 

本当に問題なのは、問題があることに気づかないこと。

気づいても認められないこと。

 

自分の中を覗くのってこわいよね

 

おわり

今日の対話 part7

テーマ1

「世の女性の多くは自分よりも背の高いパートナーを望んでいるにも関わらず、なぜ高いヒールを履くのか。」

前提: 男の意見ばかりで拉致があかない。そんなに女性と話したり、付き合ったことがない。

 

テーマ1.5

「背が自分より低い人は無理であるという人をトンデモなく好きになってしまったらどうするか?」

1.ドライブデートをする。食事もドライブスルーで済まし、車から降りることなく家まで送る。

2.キャンピングカーを購入して、キャンプに出かける。キャンプでは、スニーカーになるためハイヒールを防止できる。

 

コメント

テーマ1と1.5を話したいと言った生徒は身体が低い。少なくともわたしには全くない視点だった。本当に面白い。

笑い話の後には、小学生の頃にホルモンの量が少なくて成長に支障があることをみんなの前で話してくれた。

皆からのいじりに優しさが出てくると嬉しく思う。

 

テーマ2

「ナルシストはなぜ生まれるのか?」

前提:ナルシストとはどう状態か?=手越祐也さん

意見:自己評価と他者評価の差がある。自己評価と他者評価が一致していても、自分でカッコ良いと思っている節を存分に前面に押し出している。

女の子は、自分以外の女の子を可愛いと形容することは多いが、男の子は、自分以外の男の子をイケメンだと形容することが少ない

 

テーマ3

「クラス室長の非認知能力について」

http://www.shogai-soken.or.jp/htmltop/toppage.files/non-cog2018.pdf

→ クラス室長は伝える力も、感じる力もあるし、成績では上位に入る。コミュニケーションもとれる。(という位置付け)しかし、気づいてしまうが故に思いやりに欠ける発言を特定の人にだけしてしまうことについて、集まったメンバーが何を思い、その発言をされる子がどう思っているのかを共有した。

 

コメント

多くの生徒からの意見が室長一人に集中してしまった。

自分がどんな特性があるかを共有する間もなく、一人についての話になってしまったので、その他の生徒に発言の責任の薄さが目立った。

自分も話すことばかりになり、改善が必要だ。

 

おわり