gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

笑いながら怒る

「席につきなさい。」

どうですか?この声かけには、

怒られてるようなイメージがあると思います。

 

先生がよく言いそうですね。

私は高校教員なので、ほとんどこの言葉を使うことはありませんし、

連絡をするような雰囲気、

何か伝えようとすると、

ほとんどの子は察してそのような場をつくってくれます。

ありがたいです。

 

しかし、今日は使いました!笑

私はかなり怒っていました。

でも、なんで自分が怒っているかもわからず、怒っていました。

怒っているときはそんなものなのかもわかりませんが。

 

他生徒の学習の妨げになっていたこと以上に怒っていた自分がいました。

これはいろんなエゴなんだろうと思います。

疲労もピークで余裕もなかったのも一つの要因です。

毎日、疲労がたまらないように仕事ができていない証拠です。

 

このコンディションでも、

その授業をより学びの多い、

よりストレスの少ないものにすることが大切です。

 

そこで閃いたのが、

「笑いながら怒る。」です。笑

 

実際は怒りません。

笑顔で、

「席に座りなさい^^」

「席に座りなさい^^?」

「席に座りなさい!^^」

 

チャンスがあれば実践してみます。笑

おわり。

ヤキュー

ある子らから、夏休み前から、

「ヤキューをしましょう!」

と誘われていた。

 

今日は体育祭だったこともあり、

業後、ヤキューをしてきました。

 

キャッチボールして、対決して。

打たれて少し本気になったりして。

 

学校には、クラスや部活などの枠組みがあるけど、それを超えて人間関係が構築されるっていいなーって思いました。

 

楽しかったみたいだし、俺も楽しかった。

ただヤキューをしたという話です。 

 

おわり

1対40 から (1対1)×40 へ

自分と向き合う時、自分も1人の人とする。

これが1対1のスタート。

ここを怠ると他者と対峙しても、聞けないし、伝えられないと思ってる。

(アタマとココロの対話とも捉えていいかも知れない。

感じる自分と、考える自分との対話とも言えるかも。)

 

次に他者との対話だ。これも、

1対1

の対話。

ベースはこの関係からだと思う。

1対1の関係を持とうとしたならば、集団として対峙できる可能性が出てくる。

40人が私に、私と同じくらいほんの少しの気遣いをしてくれていると、その集団とは過ごしやすい。

しかし、ほんの少しの気遣いも受けられない関係だと、40倍の無神経な扱いを受けてしまう。

 

これはどちらが良い悪いとかではなくて、関係づくりを日々積み重ねていきましょうねってこと。

40人を圧倒するような覇気を出し続けてるのも時には必要。

だけど、関係づくりをした方がお互いに楽しく過ごせる。

 

学校では、(本当の)1対1を自然に作るのがとても難しい。

その中で、より多くの1対1を作れるか。

 

おわり

 

 

出来ないツラさ 分からない不安

私は久しく(1年ほど?)、

出来ない・分からない

の状態になっていなかった気がする。

(苦しむほどのストレスを感じたことが少なかったともいえる。)

 

私は今、ある媒体を利用して

出来ない・分からない

が定期的に訪れるようにしている。

そして、それに向き合うと、

出来る・分かる

が訪れる。

(出来る・分かるに至るかはその人の姿勢次第な気もしますが。)

その繰り返しを、日常の中におくための手助けをしてくれるものに取り組んでいる。

 

子どもたちには、自らの課題に向き合う姿勢を身につけて欲しい。

出来ない・分からない 

の状態から、自分なりにその課題に向き合い、試行錯誤すれば、

出来る・分かる

まで持っていける。という感覚を持ってほしい。

そうすれば、一時的に

出来ない・分からない

状態になっても、

出来る・分かる

まで持っていけることを知っているから最小限のストレスで済むし、自分を信じられる。

 

ただ、

現状の環境(同い年40名が一室にいる状態)で、

毎回、分からないこと・知らないこと(新しい概念)を、

半ば一方的(ここが教員の力量?)に、

全員がわかるまでやってもらえないまま進んでいく授業をうける子どもたちの、
出来ない・分からない
に対するストレスは私が考えていたものよりとても大きいのだと再認識した。

 

先生のおかげだと言わせず、

先生はいらないとも言わないような授業が、自分が目指すところな気がします。

 

おわり

 

やったことない人・やらない人

タイトルのような人たちと、

やりたいことを本気でやってる人とは交わりにくい。

 

それでも、タイトルのような人たちに腹を立てているということは、自分がやりたいことをやれていない場合があるのかも。

 

やりたいことをするには、覚悟がいる。

 

また、やりたいことをやってる人は自分で誇りをもてばいいんだけど、

誰かに理解してもらおうってのは、少し欲張りだったりする。

誰かに理解してもらうことが目的だと、ブレる。

 

シンプルにやればよい。

 

おわり