gt-24o’s blog

思慮深く、大胆に書きます。

教える 教えない 何もしない part1

[教える]

① 学ぶ側は知りたがっているか。

学びの主体者が知りたいと思っていないのに、こちらが教えたいから(教えなければならないから)という理由で教えることを強要していないか。

知識をサンドバックのようにたたき込まれるのは辛いモノがあります。

また、学びの主体者が知りたいことを伝えようとしながら、そこからずれて自分の体験を伝えてしまう場合もあります。気をつけたいです。

 

② 知った気にさせていないか。

知識が詰まった完成度の高い話や、構成がまとまった学習プログラムは主体者の学びのゴール地点を設けがちです。評価しなければならない時以外は、伝えるものに繋げてモヤモヤしてもらった方がその先の学びに繋がる気がしています。

 

③ 対等な立場で接しているか。

学びの主体者が知っていることもあれば、教える側が知らないことがあります。

教える側は全知全能の神ではありません。

お互いが存在することによって、高め、広め、伸ばし、深め合える関係がよいです。

教える側は自分が有能であることを過剰にアピールせず、

学びの主体者が、学ぶ姿勢を持ち続けられ、

やがて教える側はフェードアウトしていく。

だが、、、”ここにいる・・・”

そんな立場であることが良いかなと思います。

一人

誰かといる時間は楽しい。

ずっと誰かといると、

一人になりたくなる。

一人の時間は楽しい。

そしてまた誰かに会いたくなる。

 

一人の時間が楽しめる人は、

誰かといる時間も楽しめる気がする。

おわり。

困る と 学ぶ

学ぶ理由の一つに、自分が”困る”ことがあると思います。

困り感を解消するために学ぶ。ということです。

ではなぜ困るのか?

「こうなりたい。」というイメージがあり、

課題を課題と捉えて向き合っているから困るのだと思います。

ただ、困り方も大切だと思っていて、

自分の深いところにある解決しなきゃならないことを捉えること。

アタマで考えたエゴが捉えるのを邪魔してきます。

本当に解決しなければならない課題は、向き合うのに一苦労。

向き合い続けるのに一苦労、行動するのにはかなりの苦労です。

 

さらに思うのは、解決することが目的ではなくて、

課題と”向き合い続けること”だと思います。

要するに、困り続けて下さいということです。笑

 

困り続けるということは、学び続けることになるし、

解決しないってことは、わかったつもりにならないってこと。

 

困らなくなってきたときこそ、

見えない部分をみていく姿勢が大切ですね。

おわり。

きれいごと抜きのインクルーシブ教育

きれいごと抜きのインクルーシブ教育

私の担任するクラスにも、この本でいう"あの子"がいます。

私は高校教員ですので、一日中同じ教室で授業をしたりすることはありません。

その代わりに、各教科担当から色々な報告やご意見を頂きます。

同じ教室のクラスメートからも心配する声が聞こえてきたり、怒りに近い意見も出て来ます。

 

"教師が(あの子にとって)学校での人としての砦です。"

 

他教員にも、クラスメートにも言い過ぎてしまう人がいます。

それは、人権侵害ともとれる内容です。

クラスメートには私から話し合いを持ちかければよいですが、他教員ともなると難しいことも(教員のがひどい場合も)あります。

つくづく思うのは、

まず出来ないことを受け入れた上で、この瞬間から何ができるかを対話を通して考えることだと思います。

これを私がしなくなれば、砦はなくなります。

もちろん、対話をしていればよいというわけではありません。

そこが、今回の"きれいごと抜きの"の部分につながります。

どうしても共同生活の中で摩擦が生じやすくなったり、説明中に発言してしまったり、忘れ物があったり、授業で寝てしまったりします。

 

"みんなを「普通」にしようとしていか"

 

これはとても感じます。

職員として働いている私でも息苦しさを感じるほどです。(これは私の人間的な資質によるものだと思いますが。笑)

学校として守らせねばならないことはあります。

しかし、本当に必要な「授業規律」なのか?みんなと同じことがそんなに大切なことか。

 

ルールをみんなで破ってしまうのではなく、

ルールの意義をみんなで考えることが大切だと考えます。

物事を多角的に捉えて、

"例外の作り方"や、

(全員でない)みんなが良いと思える第3案を考えることが、

"あの子"の居心地を保証し、

その他の子たちも我慢を強いらないことにつながると考えています。

 

私自身が自分に染み付いた"普通"を認知すること。

その上で自分のタイプを理解して、指導していくこと。

この2つが大切になりそうです。

おわり。

ブログを読み返しました。

 今日はブログを読み返してみました。

いい事書いてあんなーって思ったり、

へたくそな文章だなって思ったり。笑

 

今まで書いてきたことや、気付いたことが

 

大切な"その時"に、

大切な”その人”へ、

 

伝えられる事が増えてきた気がする。

 

それに、

ブログを書きたくなるのは、

"伝えたいこと"がことがある時で、

伝えたいことは、人とのつながりで湧き出てくることがほとんど。

私の場合は、学校という職場。

 

この夏休みは学校以外の場所で、

人との繋がりの中から、色んなものを生み出して

発信していきたい。

おわり。

教育の正解

教育に正解はありません。

国、時代、風土などで変わってきて当然だからです。(そう教わりましたし、そう思います。)

 

じゃあ正解はどこに?

"学び続けることがかろうじて正解"

(これも受け売りですが。)

なのではないか。

"かろうじて"という部分も大切かと。

このような話ができる環境も当たり前ではないです。

とてもありがたく思います。

おわり。

第3回 クラス会議宿泊セミナーIN瀬戸

私は高校教員です。

クラス会議を学校でやれるか?

と、聞かれればそれはこれから考えることとして。

私が思うに、私が務める学校は"超管理教育"だと思っている。

確かに、援助が必要な子どもは多いが、教員が世話係化している側面もある。

そんな学校で、

子どもが主体的に自治でき、民主主義を学べるクラスを作りたい。

自分たちでクラスを動かす事が出来る、教員にも対等に発言でき、選択し、責任がとれる子どもを育てたい。

そんな中で、クラス会議を研究し、実践する赤坂真ニ先生や、小中学校で実践している人から、クラス会議をしていくことで、大切なエッセンスや本質を学び取りたいと思って参加しました。

 

私は甘かった。笑

 

話をしっかり聞いて、帰ろうとしていました。

しかし、outputなしのinputには効果が薄いことを身体で感じました。

主体的に参加せざる得ない、

クラス会議式にクラス会議を学ぶ場でした。

その中で、残ったフレーズをリスト化します。

 

・クラス全員に20%の仲間がいるか?
→仲間=喜怒哀楽を理解してくれる人
・コミュニティには多様性が必要不可欠
・400万円オーバーの年収が稼げる人は1,000人中44名
→自分にはお金があるが、子どもはお金がない生活をして行く可能性がある。
・マジで学習指導要領よく読もう。
・outputありきのinputをする。
→協同的に
・問題解決者に育てる教育
・非認知能力を評価し、授業観を変える
・意欲は育つか?無気力は学ばれる
→成長的マインドセット
⇨努力をほめる・能力は褒めない

・「環境は変えられる」という子どもの意識
・笑顔で注意→ポジティブディシプリン
・自分に出来ることをやる
・非認知能力をみんなで考える(授業)
・環境が個人の道徳性を規定する
・話し合いをする際に、答えを当てに行かない。ブレストは質より量
・課題研究ミーティングはサークルで
・ポジティブな注意喚起(割とできてる)
・stにて…まず問う→話し合う→伝える
・IQ→EQ→NQ
・正解から目標創出
・教師塾ではユーモアが欲しい
→参加者の疲労少
・保護者会をクラス会議で。
・バードビューとインセクトビュー
・自殺者は遺書がある場合のみ
→10万人と言われている

 

これらのことを、時間をかけて日々の行動に落とし込みます。

 

本日最後の振り返りで、ストーンと下りてきたこと。

 

子どもにとって学校は大変だってこと。

50分間つまらない話は聞けない。

信用できる人とじゃないと何しても疲れる。

人と関わるのには、ストレスがかかるということ。

 

そして、そのストレスを軽減し、より過ごしやすいクラス、楽しいクラス、言いたいことが言えるクラスを私たちは作っていかなきゃいけないし、それだけの大いなる立場だってこと。

悲観してるわけではなく、どちらかといえばワクワクに近い。

なぜなら、とびっきり素敵なクラスになることもあるから。

まだやれることはあるなってところ。

伝えたいことがたくさんあるから、夏休みになるのが少しさみしい。笑

おわり。