gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

クラス part1

先日、授業のクラス分けの連絡ミスをしました。

「数学は分かれて授業するみたいだから、クラス分け掲示しておくなー!」

と言って、掲示せず私は授業に向かってしまいました。汗

その後、何とか私を見つけて、

クラス分けを教えてくだーい!ダッシュしてきました。

授業は何とか間に合いました。

自分自身は反省点だらけですが、

その日の日誌に、

「連絡ミスはありましたが、みんなで考えて行動してカバーできて良かった。」

と書いてありました。

肯定的な言動と行動をお互いが続けていけば、

失敗=みんなでカバーすれば問題ないもの

となっていけるのかなと思います。

 

失敗を嘲笑するのでなく、本人は真摯に受け止めて、みんなでカバーする。

これが徹底できるかは、自分の日々の徹底された態度かと思います。

おわり

与えているものは。

奪っても増えない。

与えても減らない。

 

どれだけ与えられている?

と、聞かれても、はかれない。

でも1つの指標となるのは、

"時間"なのかなと。

 

最近、私自身は、もらおうとしてばかりだと振り返っていた。

でも少し違うかもしれない。

 

もらおうとしてるというより、

自分が与えたいと思ってる"時間"より、与えられている時間が少ないと感じているんだと思う。

 

自分を大切にすることが出来ないと、

他者も大切に出来ない。

 

自分の時間を大切にすることで、

他者の時間を大切にできる。

 

なら、短い時間でも確かに与えている時間があるならその時間を大切にすれば良い。

 

確かに与えられているモノがある。

そこを自分自身の中で当たり前にすると、

自分自身を大切に出来なくなる気がする。

皆さんも、一度、当たり前になりつつある、

"確かに与えてられているであろうモノ"

を見つめ直す時間を取ってみて下さい。

おわり。

ほろ酔いブログのススメ

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ほろ酔いであることがポイントです。

酔いすぎると文章になりませんから。

気づくと1日が終わります。

アタマで考える時間なく1日が終わります。

ただ、少し酔っていると、考えもしなかったアイディアが降って湧く事があります。

実現不可能なことが、多いですが。

今日思いついたことは、明日すぐ出来そうです。

また明日が楽しみです。

おわり。

 

 

「愛するということ」

愛するということ

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自分自身への愛と他人への愛が基本的につながっているとしたら、利己主義をどう説明したらよいのだろうか。というのも、利己主義は他人にたいする純粋な関心をいっさい排除しているように見える。利己的な人は自分自身にしか関心がなく、何でも自分の物にしたがり、与えることには喜びを感じず、もらうことにしか喜びを感じない。

利己的な人は外界を、自分がそこから何を得られるかという観点のみ見る。

他人の欲求に対する関心も、他人の尊厳や個性にたいする尊敬の念も、もたない。

利己的な人には自分いしか見えない。彼は、自分の役に立つかどうかという観点から、いっさいを判断する。そういう人は根本的に愛せない。

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「愛するということ 新訳版」著者:Erich Fromm 訳者:鈴木 晶

より抜粋

 

これを読むと、私は残念ながら、愛せていない人の顔が浮かんでくる。

でも、数人。

逆に愛せている(愛したい)人の顔を浮かべると出てくる出てくる。

どこに注目を置くか。

 

愛してる人をさらに愛する努力か。

どうしても愛することが難しい人に時間をかけるか。

どっちがいいのか。

それは自分次第。

おわり。

疲れてる時こそ感覚にまかせて。

疲れていると、考えるチカラが落ちる。(というより、考えたくなくなる。)

なので、アタマでの思考を弱めて、

感覚に任せてあげてみようと思う。

 

そうすると、色々いらんこと(考えても仕方がないこと。)を考えなくてすむ。

 

それでいて、

笑顔でいることとか、

背筋を伸ばすとか、

頭で考える前にできることをただやる。

 

色んな刺激とバランスよく付き合いたい。

おわり。