gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

陸上競技部 part4

陸上競技部の顧問として、1年が経ちました。

 合わせて読んでみてください。

gt-24o.hatenablog.jp

 

部活動は強制されて行うものではなく、何か目的をもつ者だけが行う活動であると定義しています。だからなのか、西尾がつまらなすぎるのか、笑

20人ほどいる部員の中で、毎日、トレーニングに励んでいる子どもは6人?7人ほどです。

(子どもは本当に忙しいので、子どもが選択することに違和感はないです。)

 

部活動に来てくれた子たちに多くの事を任せています。

 

なので、先日もウエイトトレーニングのメニューを下さい。(本を買ってきてください。)と頼まれました。(部費で買います。)

 

私がしてあげられるのは環境を整える事です。

また、声をかける、見続ける(respect)、対話をすることで、子どもが色々な視点から自分自身をみられるように手助けをすることが役目です。

しかし、部活動にだけ時間を割くことはできません(初めから終わりまですべての時間を見ることが難しい)し、

長距離と短距離の練習場所も違いますし、各々違うメニューをしていることもあり、

全員に目を向けることが難しいので、「陸上競技部ノート」と「陸上競技日記」を作りました。

1か月ほど前に、有効活用するようにと渡しましたが、誰も書いていなかったようだったので、こちらから一人ずつ声をかけました。

 

A君:「いやーー、書きません。笑」

西:「うん。わかった。」

とか、

B君:「書きます。(即答)」

西:「早!!笑」(じゃあなぜ書かないの?と思いますが、ここがみそですよね~)

とか。

で、一番驚いたのは、

C君:「何パーセント強制ですか?」

西:「!?笑」

なんという表現をするんだと、驚きました。

西尾さんはどれくらいやってほしいの?って意味だと思います。)

 

強制という言葉が出てきてしまうのは悲しいけれど、

これは、ある程度の選択権があって、私の発言が”命令”ではなく、”提案”である証なのかと思いました。

結局のC君は次の日には書いてきました。

 

”環境を整える”というのは、”誰かが自分を見てくれている”ということも含まれます。

見続けることに中に、”書くこと”も加えて子どもたちと接していきます。

おわり。

挨拶の先攻と後攻

生徒指導部として2年が過ぎました。

挨拶を毎日していると気づくことがあります。

子どもとの状態をつかむ第一歩になるし、

子どもたちとの距離感を生み出す第一歩になる。

 

挨拶は元気のおすそ分けだと思っているので、私はいつも先攻でガンガン挨拶していました。

最近まで、元気もらってもらおうと目があったらとにかく挨拶していました。

でも、挨拶される間を作ってみてもいいなーって最近気づきました。

間を作ることによって、子どもは、

"先生に挨拶をこちらからすることができた"

という体験になります。

子どもの様子をみて、してもらえるなら、してもらう。

こちらからするならしてみる。

時には変えてみる。

そんな挨拶の見方もあるなーって思いました。

おわり。

なぜ、学ぶか part7

part7まできました。

なぜ、学ぶか?

 

私は他者との関わりをより良い(自然な)ものにしたいです。

・ココロに負担なく、他者を受け入れられる。

・言いたい事が言える自分であること

・言いたい事を言われる(言いやすい)自分であること

これらの軸があることに気が付きました。

 

私の職にも影響されていると思います。

学んだことや努力したことが、お金になるか?とか、

何かの勝負に勝てるようになるか?とか、

そういったものと縁遠いライフスタイルを送っているせいだと思います。

 

世界情勢であったり、経済を学んだりということに目がいっていないと思います。

これらのことにも、チャレンジをしていけば、

「なぜ、学ぶか」

というテーマを違う角度から見られるかもしれません。

会社を経営したり、世界を旅してまわったり、あるいは職人になったりと。

人の生き方は様々です。欲張ってもいいですし、欲張らなくてもいいです。

寝る間を惜しんでもいいですし、そうじゃなくてもいい。

 

私は、人について知りたい。

そして、人と自然で、ココロに負担の少ない関わり方を学んでいきたい。

 

「なぜ、学ぶか」は人それぞれ。

ずるい終わり方です。笑

おわり。

なぜ、学ぶか part6

何か新しいことを学んで、(体験+知識=経験、経験=気づき?学び?)

誰かに伝える。

学んだものが、経験そのものが、他者に伝わり、誰かのためになることがある。

 

ここで、ワンピースを読んだり、見たりした人は、

 

「おれが"万能薬"になるんだ!!!

何でも治せる医者になるんだ!!!

・・・・・・・・・だって・・・・・・

だって この世に・・・

治せない病気はないんだから!!!!!」

尾田栄一郎ONE PIECE」17巻より

(画像に関しては正しい引用の線引きがわからなかったので、どなたか教えて下さい。)

を想像して下さい。

 

誰かのためになるっていうのは、簡単なことでないと、チョッパーは教えてくれます。(私はここで泣きます。)

力になれない事を知る、知らないことがあることを知ることで、人は知ろうとする。

知らないことは決して恥ずかしいことじゃないです。

知らなかったという体験の積み重ねが、知らぬ間に誰かのためになるような。

"誰かのためになることがある"くらいで学べるといいかなと思います。

おわり。

なぜ、学ぶか part5

「当たり前」、「普通」、「常識」とかっていう言葉がある。

これらの言葉は自分の中には存在してよいと思う。

生きていれば、これらの一つや二つ、三つ四つ・・・笑

でも、世の中(世間)には、これらの言葉に絶対あてはまる何かってのは限られると思う。

それは、何故かというと、世の中や世間を作っているのは、数多くいる全く違う考えをもった人だから。

(世間というのは、不確定な人の集団でまったく見えてない。私自身は存在していないと思っています。笑)

自分の中に、「普通」が存在しているのはいいんだけど、(西尾は)他者の「普通」を認知して、許せる自分でいたい。(許すかどうかも自分次第)

自分の「常識」を正当化するために学ぶのか?正当化するのはいいけど、攻撃はしないでいい。

 

「あの人はなぜ、あんな””普通”とかあんな”常識”を持ち合わせているんだろうか?」

と疑問をもって、その人を許すためにはどうしたら?(許せない人だっているけど。)

っていう視点が、学びの入り口だといいなぁと思います。

おわり。