gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

卒業式当日

[嬉しい編]

握手だったり、写真だったり、話だったり、抱負だったり、心配されたり。笑

特別な日でしたが、良い意味で特別感がなく、巣立っていきました。

嬉しいような寂しいような変な感じです。

(文章は少ないですが、本当に感動しました。この感動は僕だけのものです。笑)

 

[複雑な感情編]

今日まで、色んなことがありました。挙げていけば、数え切れません。

でも、卒業していくんですよね。この日になれば。

私は、この日を体験して、

この日がどっちみち訪れるなら、私自身、もう少し接し方があったんじゃないかな?

って思います。

また、

最後がOKならすべてOK(結果的に卒業式までこれば?過程は・・・?)

もう少しOKな部分、あってもいいんじゃないか?

何かを強いる必要あるのか?

強いることで彼らはどんな成長をしたのか?

「自立」というテーマに進んだのか?

やはり疑問は尽きません。

 

で。

[この気持ちはどうすればよいの?編]

最近は、こんな気持ちを、先輩先生方には打ち明けています。

若輩者の言葉に耳を傾けくれる先輩先生です。

私は、この思想を否定されるのが嫌で、怖くてあまり話しませんでした。

話していく中で感じたことは、

先輩先生は、上記で挙げたことは重々承知しているのです。

そのうえで、学校を運営するために、やらねばならないことがあると教えてくれます。

 

もうここまで来たら、己の選択に託されているんだなと。

そう思います。

子どもたちには、「選択して行動して責任をもつこと。」を伝えています。

 

自分はやり切れていない部分があります。(集団の中で、どうしても・・・です。)

思想・理想に行動が伴わない部分があります。

(自分の理想が子どものためになっているかは別として。)

良い・悪いではなくて、

合う・合わないの問題なのかとも思います。

 

迷ってはいません。

今は出来る事を積み重ねるだけです。

でも、卒業式に考えておきたいことでもあると思いました。

 

というわけで、

3年生、3-6のみんなありがとう!

終わり。

卒業式前夜

卒業するのは、子どもたちなので私がどうこうってことはありませんが。笑

今年の卒業生は新任として、名南工業高校にきて、2年間副担任として関わりました。

担任の先生より多くの授業をもって、面接の練習もしたし、座学では補習もしたし、

3年生の「課題研究(工業高校の総合的な学習)」という授業では、

「学校の人を幸せにする研究」なんていうテーマで、研究内容を決めない状態からスタートしたりしました。

 

去年から今年にかけて、2年間で私が伝えたかったものは何か。

「失敗力」だと思います。

むちゃくちゃ失敗しました。

何をもって、成功・失敗なのかと言われれば、線引きは私もよくわかりません。

みんな好きなことを言っていますから。笑

自分の中では、「そこはそんなに問題ないだろう。」というのも、他の先生から見ると問題だったりして。

そんな時なのに、すこぶる前を向いて、同じ失敗をしないように、1秒反省して、常に前を向き続ける。行動する。チャレンジする。だって、やってみないとわかんないからね。

(先輩)先生のいうこと=正しい

(正しいこと多い。笑 しかし、ここでいう正しいとは、学校として何事もなく過ぎていくことに近い。)

ではなくて、冷静になって自分なりに考えてみる。

それを実行してみる。

するとそんなに問題じゃないこともある。

自分の中で大切にしている、信念や理想(心の声)をしっかりと自分の中にもち、自分の責任で行動していく。

(涙目になりながら、ポジティブ発言をしている時はさすがに慰められましたが。)

 

私のこれからの課題は、他の先生との関わりです。

失敗しないようにするわけではなくて、

真摯にチャレンジしていくことです。

周りの方々に理解を得られれば、意外と様々なチャレンジをさせてもらえることがわかってきました。

これが面倒すぎて、嫌になるようなら、また考えればいい。

そんなときだって前向きに。今できることがまだある。

脱線しましたが。

彼らは、僕がどんだけ失敗したって、笑って僕を受け入れてくれました。

失敗力を高めさせてくれた彼らに最大の感謝をもっておくりだしてきたいと思います。

そういう人と一緒にいると、そういう人でいられるの法則

自然体でいて、遠慮もほどほどで、対等な関係を持ってくれる人。

あえて言うなら、気を遣わずズカズカ言っちゃう人。

私はこんな人というと、自分も自然体でいられる。

自分を大切にしているから、相手を大切にしている。

意見や行動を批判されても、その人自体を否定しているわけじゃないから、

俺「あんぱん美味しいよね」

そういう人:「いや、そんな好きじゃない」

俺「そっか!アンパンマンは?」

そういう人:「好き好き!(棒読み)」

ちょっとよくわからん内容になったけど、何でも言ってくれて、何でも言える。

それでいて、一個人としてお互いを当たり前のように認めている。

そんな関係が好きだ。

 

はたまた、私は笑顔が苦手だ。写真の作り笑顔が作れない。笑

でも、四六時中、自然な笑顔を絶やさない人がいたとしよう。

何にでも笑顔になっちゃう人。

自分も笑顔になる時間が増えるんですよね。なぜか。

 

30人、松岡修造のクラスにいたら、熱い言葉しか使わないから、

熱い言葉スタンダードになって松岡修造みたいになるんじゃないかって思う。

 

自分ひとりでは、新しい自分とは出会えない。

その新しい自分が、誰かの前だけの自分であっても、それはかけがえのない新しい自分なんじゃないかって思う。

 

とりあえず、写真用のストップ笑顔の作り方を誰か伝授してください。笑

「明日の学校に向かって」鑑賞会を通して、イエナプランに触れる。

www.youtube.com

この映像はダイジェストです。

私は、本編を鑑賞会に集まった人たちと話し合いをしながら鑑賞し、イエナプランに触れてきました。

服部秀子さん主催の勉強会でした。

日本イエナプラン教育協会 のHPで予習を行い、このDVDをみて、イエナプランの全体像をとらえる事が出来たらよいなと思いながら参加しました。

 

[振り返り]

  • 手法より、理想や思想を落とし込みたい(「イエナプラン教育20の原則」など)
  • 学びの主体者(主役)は子ども(本当にこども。笑)
  • 一個人を見続け尊敬する、という教員の姿勢と、学校のシステムとプログラム

→ この姿勢は、意識するしないでなく、人との関わりで当然のように大切にされることなのだと思う。そういう雰囲気の校内で、そういう雰囲気の大人と育った子どもが先生になれば、当然のこと。名南工業高校という日本の学校で覚える違和感から、”尊敬”の大切さを(相対的に)意識しなければいけなくなっているのだと気付いた。

  • 今の環境に「言い訳する、批判する、ぶっ壊す」のではなくて、出来ることからコツコツと
  • 評価方法がすごく大切(数字になってしまう悲しさと、数字にとらわれる大人と子供)
  • 学び合う場の大切さ

→ 学校は学ぶ場だけど、学校だけじゃない。遊び場は学び場で、学び場は遊び場。大人が体現していくには、場づくりが大切になる。

 

今後とも私のペースで学んでいきたいですし、広めていきたいですし、オランダ、ドイツ行きたいです。笑

一番大切なのは、明日から何するか、来年度から何するか。

サークル対話やってるから、実践してるってことじゃなくて、理想と理念を見失わない子どもとの関わり方をするということ。

"言葉を伝える"から”言葉で伝える”へ

直接、面と向かって伝えること。

大切なことほど、直接伝えた方が良い。

思っているだけでは伝わらない。伝えなければ伝わらない。

 

私は、伝えられていないことが多い気がしている。

逆に、

時間をおいて、言葉を選んで、文章にすることが得意だとも思っている。

 

ここで、迷う。

直接言葉で伝えられないことは、文章にしない方が良いのか?

ということだ。

メールやSNSが過剰気味に発達してきて、こうやってブログでも自己表現できるようになった。

嘘をついているつもりはない。

でも、直接いえないことを文章にすること(伝えること)はどうなのだろうかと、思う。

 

そんな中、今日は、ポジティブで少し伝えるのは恥ずかしいことだったけど、すんなりと伝えられた場面があった。

 

この時は本当に、スッと言葉がでた。

自分でも驚いた。

その言葉を聞いたその人は、すごく嬉しそうだった。

 

嬉しく思ってくれるかな?とか、

これいったら恥ずかしいな。とか、

全く考える余地はなかった。

これは相手のための言葉なのか、自分のための言葉なのか。(表裏一体)も考えていない。

そんなことを考えている時点で、自分を守るためなのかもしれないけど。

 

その人を良くみて、興味をもって、

その人の”今”に注目していれば、

難しい言葉じゃなくたって、

ありきたりな言葉だって、

私と他者の間での、大切な言葉になるんじゃないかなって思った。

 

実践・実践ー!